呼びかけ以上の30名を超える参加者に興味関心の強さがうかがえる内容でした。
高齢者が増える事を現実の問題としてとらえる姿勢には市民も議員もありません。それだけ越谷の超高齢化が進んでいるのだと実感させられました。内容を直視すると財政やケアについてなど負担の話が多く暗くなりがちですが、視点を変える事で全く違う世界が広がっていると感じています。講師からの「人は奉仕されるだけではなく、奉仕がしたいものだ」という意見や、「自分ではできないではなく、出来る事をやる!」という意気込みが超高齢化社会を迎える全体の空気を変えたと感じています。
私も暗い観点では見ていません。退職を迎えた技術や知識を持った方々がこれからは、昼間にも市内にとどまることになります。市内の日中の人口は増加するのですから、これからの安心安全は行政が担うのではなく、市民が担う社会に変わっていくのではないでしょうか。元気で有能な方々をいかに地域で活躍していくのかに知恵を絞る事が私達に出来る最大の対策だと思っています。
弊害としては、多数決では高齢者が圧倒的に強くなることです。自身の世代が全てを決定してしまうからこそ、どの様に全世代にも思いを巡らせるのかが問われています。
(岡田 英夫)
今回は受付係を担当していましたが、あいにくとお願いしていた友人が欠席をしたために皆様にご迷惑をおかけ致しました。大変申しわけございませんでした。
さて先日発表された日本の人口動態では、高齢化率が25%を超えたとのことです。
高齢化率7%を高齢化社会、14%を高齢社会、21%を超高齢社会と国では定義をしてきました。
日本は21%の超高齢社会に2006年になりましたが、埼玉県・越谷市も同じ年2012年に超高齢社会となりました。今回のテーマのタイトルにある「超高齢社会」はもはや遠い世界の話では無く、現実の世界の話であるわけです。
多くの人の意識では、高齢化社会と超高齢社会との区別は無いかもしれません。しかし、言葉は常に実態を表すものです。超、がつく高齢社会になったんだ、という意識をみなが持つことによってかえって実態に即した対応策を考えることが出来るようになるのでは無いかとも思っています。
この超高齢社会を地域で受け止めるということはどういうことでしょうか。
一つには、高齢者の皆さんが幸せに生き続けられるということであろうかと思います。
もう一つは、高齢者の皆さんの経験などを若い世代に引き継いでいく仕組みを作ることであろうかと思います。
特に後者は、例えば生産労働人口の減少と技術の伝承の問題と重ね合わせると理解がしやすいかと思いますが、高齢者に若い世代を積極的に結びつけることによってより確実に、何かを次世代に引き継ぐ効果が生まれるのではないか、と思います。
こういった意識を地域で共有出来ればと思います。
(菊地 貴光)
まず議会報告が型通りになってしまったのは諸般の事情でいたし方ないとしても、26年度予算にみる「ワニの口現象」は越谷の将来にどのような影響をもたらすのか、また、中核市移行関連の諸案件における市長の市民への合意形成のとり方の変化等、予算案に反対した会派ならではのコメントがあってもよかったのではないか?
さらに、議会で紛糾したと伝え聞く、辻議員ツイッター事件、江原議員セクハラ事件についての市民への説明が今回スルーされてしまったことは、越谷議会の民主主義観の実状をオープンにする機会を放棄してしまうことにならないか。
今回の講座のテーマ「超高齢化社会を地域でどう受け止める?」は、直近の越谷の現状を討議する意味で、3月予算議会における高齢化対応が予算案にどう表現されているかを学ぶいい機会であったはずで、参加者にこのテーマが今選択された意味を再確認してもらう時間を作りたかったと思っている。
しかし、今回の特別講座に配置された役割分担・メンバー構成は、従来と違った面を期待したものであった事は、理解しなければならない。また登壇したスピーカー諸氏のバラエティーさと各々各分野を懸命に果たしてくれたことに好印象を感じている。
グループ討議の雰囲気が徐々に違和感のないものになってきていることは、初参加の方々にも参加しやすさを感じてもらえたのではないか。
今回のテーマは、本来暗い、深刻なテーマを参加者全員で共有し、閉塞感から将来に向かっての一手をみんなで考える時間とするきっかけを提供できたと考えている。
これこそが政経セミナーが目指す市民参加の一方向であったのではないか。
(西川 孝一)
川田先生のお話を聞き改めて少子高齢化の危機感を感じました。しかしグループで意見交換をすると考えも少し変わりました。
超高齢社会と言う言葉を耳にすると暗いイメージを想像するが、視点を変えて見ると良い点もたくさんある事に気づきました。定年を迎えた方々が昼間も地域に居るという事です。この方々の居場所づくり、そして活躍の場を作れば地域の活動があらゆる面で変わるのではないかと感じました。社会保障が大変という声もありますが、高齢者に子どもたちを見てもらうシステムなどを構築すれば放課後待機児童なども減少し、お母さんたちも働きやすくなる事も考えられます。核家族が増えていますが、定年をきっかけに同居なども考えられると思います。
自治会の加入率の減少などのお話を聞きましたが、あらためて基本的な近所づきあいが大切であると感じました。
中核市の移行は、もしかしたらチャンスであり、越谷市独自の社会保障の制度ができるかもしれないというお話も興味をもちました。
社協のお話では、困っているが「スタート」実際は何でもできるのが社協であり市民がもっと運営サイトに入るべきと言うお話も興味をもちました。
最後に、皆さんもおっしゃっていましたが、「与えられ続けると心が折れる」という言葉が印象的でした。
(武藤 智)
3月越谷市議会で賛否が大きく分かれた「敬老祝い金削減」議案は、市長や議会に市民との合意形成と言う視点から、課題が可視化する契機となりました。
高橋市長が毎年提案する予算案には、人口減少(生産労働人口減少)と高齢人口激増の時代の認識が極めて希薄な状況で、前年度予算を毎年更新を続け、ついに平成26年度予算額は、過去最高額となりました。
しかし、税収の根幹である市民税の伸び率は僅かであり、個人市民税は前年比2,2%の伸び率で推移しましたが、市税納税者の8割を占める給与所得者の賃金が上昇しているとは言い難く、制度変更による控除廃止などに伴い課税対象額の増額が主な原因であり、依然として全体の給与自身は上昇していません。
更に若者や子育て世代の減少傾向は今後30年間は、残念ながら上向くことは期待できず、その年間所得も200万円以下と低水準です。
一方、一般会計862億円の42%を占める民生費は361億円に達しており、さらに超高齢社会の加速では、越谷市は世界一のスピードで進行しており現在のシステムでは到底対応出来ないことも明らかになっています。
これらのことが再三指摘されているにも拘わらず、これまでの市長の予算提案や政治姿勢は旧来型の右肩上がりの習慣から抜け出してはいません。
典型的な事業では、仮称第三庁舎建設や中核市移行への説明責任、本庁舎の耐震化対策を含む、先送り体質にも拘わらず「安心度ナンバーワンの越谷市を目指す」とのかい離にも矛盾を感じていないような対応が続いています
この様な事業の推進は、市民への消費的なサービスを提供していくことが、市長や行政の役割であると、信じて疑わない慣習となっており、議会もこれを追認し続けています。
ただ、これでは財政が持ちこたえられないために、今回の敬老祝い金の廃止議案となったもので、理由は兎も角、一定の評価はするものの、事前に市民への説明や意見聴取をしないことで、決定的には政策形成過程への市民参加の視点が全く欠けていることも明らかになりました。(議会でこの点の質問に、事前に市民に説明したら混乱する、とまで答弁までしてしまう念の入れようですが)
同時に議会側でも、事前に市民への議案説明や意見聴取を経て、議案の審議や採決に臨むというものでないことから、結局議会内部の論議に終始してしまうことになっています。
これから、さらに旧来の行政サービスや税金の投入を、未来への投資に変換するため、何かを諦めることや我慢することに対応せざる得なくなることは明白です。これは単なる制度いじりの枠に留まらず、これまで提供を受け続けてきた市民自身が行政や議会への市民参加を通して、当事者意識の涵養がなければ実現しないのです。
その意味では、今回の特別講座は、この市民の価値観や生き方を変えていく契機となったことは大きな成果であり、来年の市会議員選挙にむけ、この様な市民をどこまで作り出していけるのかが課題となっています。
(白川 秀嗣)
全体的な感想として当初は、高齢化(老い→衰退)、少子化(税収減→増税/借金増・将来世代への負担先送り)という暗いイメージが先行し、どうすればいいのかという混迷に行きつくように思っていました。しかし、こうすれば問題解決できる、受け止め方を変えれば後ろ向きの姿勢を前向きにできるという講座であったため、終わった時点では大変元気が出るものになりました。
そういう雰囲気が影響したのか、懇親会は10名で予約したところ、18名が参加するという、これまでにない状況になり、部屋の変更・会のスタートという世話役としての役割が全く果たせない状況に陥ってしまいましたが、多くの方の臨機応変の対応により、盛会に行うことが出来たので、感謝しています。
川田先生からは、高齢化のスピードが日本は他国に比べてダントツに速く、国内では埼玉県・越谷市がトップクラスという中で、どのように対応すべきかということが提案されました。社会のあり方を、自助・共助・公助のどれを選択するのかという点では「共助」を求めていくこと。そのためには市民の自発的な活動が基盤になり、「自分がやりたいこと」「今の自分に出来ること」「社会に求められていること」という観点から始めることが提案されました。そして、共助を作るための団体である社会福祉協議会の活動を本来機能に戻す必要があるということが、今ある仕組みの中で効果的な方法だと思いました。
伊藤さんからは「外見が心に与える影響が大きい」ことに着目し、高齢者に対する「化粧」をボランティアで行っている実演が行われました。モデルになった人が、全く化粧をしない(重要視していない)人であったことは驚きでした。そして、この活動のメリットは化粧をしてもらう人にあることと同時に、ボランティアの人が活性化すると言われたことが印象的でした。
砂原副主幹から話された地域包括システムの推進の中で、要支援の人に対する訪問介護支援、デイサービス支援を事業者が行うところから自治会等の市民が行うように変えていくことは必要だと思いました。それから、砂原氏は何度も「これは私個人の見解ですが」と断りながら、市民に思いを伝えようとしたことが印象的でした。例えば、地域包括ケアシステムの会議議事録をホームページに掲載すること等です。
パネラーの学者・NPO・行政が共有感を持っているところと、それぞれの役割分担と連携の重要さが感じられた講座でした。
(岡村 宣夫)
『超高齢社会』と云うと今までは暗かったり、お金が凄く必要だったり重苦しい社会の印象を受けていましたが今回の特別講座ではその印象を受けるのではなく、『超高齢社会』に対して明るい印象を受けました。又、話を聞く講座だけではなく、セラピーメイクの実践も取り入れた事は大変良かったと感じました。モデルになられた方は恥ずかしそうでしたが。又、グループ意見交換の際も活発な意見が出て皆様、積極的に意見交換をされていたと思います。地域と云っても自治会への若い世代の参加が少ないのにどう地域を守るのか、自己責任と云った様に学術的に責任を分析した意見等など。大変、良かったと思いました。私は塀があり、自身の敷地や相手の敷地を明確化している家並み、又、現在の家は部屋を壁で区切っているので襖等で部屋を仕切っているのとは違い人をたくさん招く事が難しい造りになっていると思います。私の実家は小さい家ながらも襖を外せば6畳と6畳の和室が繋がり12畳になります。父の葬儀の際はその様にして家で葬儀を行いました。病院から父の亡骸を家に連れて帰った際は親戚やご近所の皆様が布団を敷いて待っていてくれたり、お通夜に訪れる方々の為に料理も作って用意してくれました。当時は斎場もなっかたのもありますが親戚やご近所の皆様のご協力もあり家から送り出す事が出来ました。多分、地域はその少しずつのみんなの協力で成り立つ事と感じます。現在は家ではなく斎場で葬儀は行われていますがその様な地域の関わり合いの中、改めて地域を考えて行かなくてはと思います。ある本に「原始共産制社会・権力のない世界・自主性を重んじた共同生活」について書かれているのを思い出しました。「原始時代の医療は、生産力と科学・技術の低さの為にきわめて低い水準であったが、平等を基本として部族全体にかかわる集団的な医療であった。仲間を障害(老いも含む)ゆえに除外することはなく、狩猟にも病人や障害者を連れて移動した。しかし、自然による被害や伝染病などで部族に混乱が生じると置き去ることもあった。精神障害者も集団を乱すことがない限り行動をともにしたと述べている。」と云う内容です。何かここにもヒントがある様に感じます。
(小口 高寛)
■社協職員として地域福祉に携わり、市議の経験のある川田虎男さんのお話は、超高齢者社会という全体状況と、地域で何ができるのか、そのためにはどのような市民合意が必要なのかを短い時間で端的にお話いただき、誰にでもわかりやすい内容だった。
■伊藤節子さんの実演は、政経セミナーのこれまでの講座の中にはなかつた新しい手法であり、場が和んだ。セラピーメイクという手法も初めて知ることができたし、高齢者の社会参加の具体的なサポート策としてユニークだと思った。
■高齢介護課の砂原さんのお話も、単に統計と施策の紹介にとどまらず、市民として求められるスタンスなどを伝えていただき、行政マンとしての熱い思いを感じた。
■出席者は、チラシを見てきたという方が2名ほどいらっしゃつた。一人の方は「超高齢社会をどう受け止める」というテーマの答えを知りたくて参加したとのこと。このテーマはやはり今の日本社会のあらゆる問題に通底するものなのだと改めて認識した。
■反省会への参加者が過去最高人数だった。「まだ話し足りない」という感覚はとても大事で、主催者としてはうれしい限りだ。
■超高齢社会というテーマを、いかに暗いものとしてではなく、ポジティブに語れるかが私たちに求められている。川田さんが「人のために活動することは楽しいこと」という言い方をして共助社会をポジティブに語っていた。また、高齢者を単なるサービスの受益者として位置付けるのではなく、支え、支えらる社会の主体としてとらえていくことが大事というお話には多くの人が同意していた。
(辻 浩司)
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